ある晩のこと

今日のように気温の高い、でも高すぎない晩、その晩は家族が旅行か何かで出掛けていて、一軒家には私ひとりだった。

夕食を食べ終え、シャワーも浴び、寝るまでのゴールデンタイムをどう使うか私は考えた。それなりの時間があることから、映画を観ることにした。

それは『王様のためのホログラム』という映画だった。主演はトム・ハンクスで、トムが好きだから何気なく選んだ映画だった。事前に持っている知識もあまりなく、配信サイトの一覧から選ばれたその映画をとりあえず観ることにした。つまらないと思ったら寝てもいい。照明は薄暗く、目の前のテーブルには冷たい飲み物を置いて。形から入る私は居間を小劇場に作り替え、ソファに座って映画を観始めた。

内容については細かく書かないが、主人公の男性がサウジアラビアの王様にホログラムのそうちを売り込みに行くが、その先で色々と起こったりむしろ起こらなかったりする映画だ。

とても静かな映画だった。劇的な展開があるわけではなく、悪く言ってしまえば退屈なのかもしれない。少なくとも感動や衝撃を求めている人にお勧めする際には頭には登ってこないと思う。実際レビューサイトでの評価(こういった物をあまり気にしないようにしようと思いつつ、どこかで指標にはしてしまう)はあまり高くはなかった。本当になんとなく観始めた作品なのだ。映画の話をよく交わす知人友人たちにこの映画の話を持ちかけても、存在すら知らなかったという返事が今のところ一番多い。

 

でもなぜかその時の私にとっては面白いくらい、今となっては意味がわからないくらいに、それは私が求めていた映画だった。

広大な砂漠の中にポツンと佇むテントや、ちぐはぐな会話、感情の読めない人々や姿を見せない王様、それらがいつか一本の線になるのか分からないまま点々と存在している。映画が”展開していっているのか”どうかも分からない。そのうやむやさが、なぜか私のその時の気持ちにフィットしていた。エンドロールを観ながら、「これが私が今まさに観たかったものだ」と思った。本当にびっくりするくらい求めていた物だったので、ある種かなり興奮していた。

頑張ってよく考えれば理由付けをすることもできると思う。私は『ゴドーを待ちながら』のように主要となるべき人物が一向に現れない作品を好きな傾向にあるし、アラブ系の風景や習慣にも興味があるのでそういった面でも魅力的に感じる要因はある。

でも、多分そういうことではない。もっと心の中の波や、言い表せない何か奇跡みたいなものにしておきたい。そういう時、理屈は野暮になる。

あの晩、ひとりで、あのソファに座って。そういう環境的要因や心理的要因があの映画の波長と合致して、たまたま運命的な出会いになったのだと思う。例えば誰かと真昼間に観たとして、同じような気持ちになれたかと言えば多分そうではないと思う。それについては全ての映画体験に同じことを言えるけれども。

 

ああいう体験はなかなかないと思う。私は映画は映画館で観るのが一番好きだし、「この作品は映画館で観るべきだ」と思っている作品も沢山ある。でもこの作品との出会いを思い出す時、それが全てではないということもまた噛み締める。あの映画のことを思い出す時、居間の照明の薄暗さをまず思い出す。あれはいい空間だった。

映画に限らず、誰にでもそういう体験はあるのかもしれない。状況や心理状態によって作り出された、作品とのたったひとつの邂逅の体験。だからこそ、何故あんな作品をなんて、よく知りもしない他人が言い切れるものではないのだとそう思う。私だってあの晩を否定されたら、きっと傷つく。あれはいい晩だった。それは紛れもない事実である。